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本日2025年(令和7年)1月3日。
わたしにとって、今年は、還暦の年越しになった。
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四十年むかしの新聞スクラップかくも活字は小さかりしか(山野吾郎)
KADOKAWA『短歌』
2016.2月号
「欣快とする」より
作者の山野吾郎さんは、昭和9年のお生まれ。わたくし式守の30年前である。
この一首は、2016年に発表された。およそ10年前。
山野吾郎さんは、80歳くらいだった計算になる。現在のわたしの20年後。
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この一首よりも、わたしは、20歳若いわけだ。が、この一首が惻惻と胸にのこるのはなぜ。
旧年、災害級の猛暑とそれが去ったかと思うと激しい寒暖差があって、気がつけば、冬になっていた。それはいい。天体には逆らえない。
ただ、頭痛と胃痛と頸と肩の痛みに同時に襲われて、季節は冬になったことにまだ順応できないままである。そのせいもあってか抑うつ症状まで伴っている。
まずい。
いくら旧年があんなでもこうまで回復力が、あるいは抵抗力が、まあそのなんだな、とにかく〇〇力の「力」が、明らかに失われていることを痛感するのである。
それでも、今、こうして新年あけましておめでとう、となってくれて……。
4
つまりこうだ。
人間、こうして元旦を迎えられるとはめでたいことだったのだ。
ということを初めて知った。
これまでは知っているつもりでいて、ほんとうは、そのめでたさを何もわかっちゃいなかったのである。
5
何はさて寒く、たかだか60にして、ほろほろ寒い膚(はだえ)にかつてはこうまでしなかったほど厚着して凌ぐ。
いいのか、おれ。ガテン系だよ、ガテン系。
大病は避けられているが、この身体(からだ)のぎしぎし痛むこと、痛むこと。
築30年超のマンションは、いかに長く保っていることか。
わが意志にそぐわぬ足の運びにて今朝も人後の駅までの道(山野吾郎)
同/同「欣快とする」より
6
妻が老眼鏡をかけている。
わたしが老眼鏡をかけてパソコンを開いている。すぐそばで妻も老眼鏡をかけて図書館で借りた小説を読んでいる。
このありように不思議はない。
7
平凡な人間のままに年老いて、枯木のごとく一緒に生きていくこと、それ自体は、わたしに、人生の価値観を満たしてくれる。
しかし、そのなんだな、人生、先は短いな。
人生100年時代と言われたってなあ、100まで生きなくていいし、おれたち。
8
頭痛と胃痛と頸と肩の痛みに加えて、実は、膝も痛い。整形外科医によれば、わたしの仕事では、余人より早めに膝が痛くなるそうな。
最近、内耳が妙に痛むし、また、歯もぐらぐらする。
尾籠な話で気がさすが、排尿の具合もはなはだよくない。
かくして無事に年越しできたことのめでたさよ、となった次第。
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信号の変わらぬうちにともかくも渡り切りたり 欣快とする(前田吾郎)
同/同「欣快とする」より
欣快。
なるほど。
まだ未来はある。
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