
1
YouTubeでなんと2131万回(8か月)視聴されていたのである。
Chu! 可愛くてごめん
HoneyWorks『可愛くてごめん』
生まれてきちゃってごめん
Chu! あざとくてごめん
気になっちゃうよね? ごめん
作詞:shito

2
短歌の世界に入ってまだ間もない頃の、おもしろいな、と思った中に、次の一首がある。
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔(飯田有子)
書肆侃侃房『林檎貫通式』
(現代短歌クラシックス01)
よく論じられている。
やがて知った。この一首の書評に、わたしが読んだように読まれている書評が、どこにもないことを。
短歌を読むに、わたくし式守は、また何かずれていたのか。
3
三つのモノに助けを求めている
河出文庫
穂村弘『短歌の友人』
第3章(酸欠世界)より
たすけて枝毛姉さん/たすけて西川毛布のタグ/たすけて夜中になで回す顔(飯田有子)
と、読むらしい。
そうだったのか。
この評の他にもいくらか読んでいるが、こう読むのが、どうやらフツーのようだ。
「たすけて枝毛/姉さんたすけて」ではなく、「たすけて枝毛姉さん」で一つながりである。おぞましいものにまで助けを求めようとする切迫した世界観は、精神に来るタイプのホラー映画のようである。
山田航『トナカイ語研究日誌』
現代歌人ファイルその22・飯田有子
もう一つ
「たすけて」という強い希求が、
河出文庫
(中略)
自分自身(夜中になで回す顔)というように相手を選ばず、
(後略)
穂村弘『短歌の友人』
第3章(酸欠世界)より
と、読むらしい。
そうだったのか。
が、わたしは、この一首を、そうは読まなかった、ということである。
4
こう読んだ。
たすけて
枝毛(だよ、枝毛)
姉さん
・血のつながった姉じゃない
・年上の同性の豊かな感受性が要る
たすけて
西川毛布のタグ(だよ、毛布のタグ)
たすけて
夜中になで回す顔
5
「夜中になで回す顔」については、こう読んだ。
今も、こう読んでいる。
ふとんに入ると、いろいろな事が頭に浮かんで、「ああああああああ」となるあれのこと。ありませんか、ふとんをかぶると「ああああああああ」ってなること。
わたくし式守は、「三つのモノに助けを求めている」とは読まなかった。
「三つのモノが」イヤでイヤで、年上の同性に助けを求めている、と読んだわけだ。最も重要なはたらきに「姉さん」を置いて。
自分の顔を、両手で覆い隠したい
6
要は追いつめられている。
追いつめられている、と言っても、アクシデントに見舞われたわけではないのだ。
そのような悩みを持たない人は生涯持たない悩み。すなわち「ああああああああ」のことである。
年上の同性の味方がほしい。年上の女性の。
枝毛が気になること、問題が、もはや枝毛でないが如くではないか。女性として生きていることの苦悩が如く。
年上の女性でないと意味がない。
男性では、この「ああああああああ」に、何の役にも立たないのである。
この心情(わたしだけがそう読んだ心情にしても)が、わたくし式守の心を、鷲掴みにした。
7
よって、音数はこう把握する。
本文 | 音数 |
---|---|
たすけて/ 枝毛 | 5→7 |
姉さん/ たすけて | 7→8 |
たすけて | 5→4 |
西川毛布のタグ | 7→10 |
たすけて/ 夜中に なで回す顔 | 7→15 |
飯田有子は、短歌を、もはや破調なんてスタイル(文体)にさえ収めない。
収めはしないが、これが短歌であることがギリギリわかる境を極めて、楽曲だったとすれば、YouTubeで、何回でも視聴され得るかのキャッチーなメロディーに、「たすけて」をのせることに成功した。
あたかも令和現在であれば『可愛くてごめん』のように。
が、加藤克巳にも、短歌の、その方向性は異なるが、こんな破調はないか
加藤克巳の、その例を、ここに引く煩は避けます
8
ごめん
Chu! 可愛くてごめん
HoneyWorks『可愛くてごめん』
生まれてきちゃってごめん
Chu! あざとくてごめん
気になっちゃうよね? ごめん
作詞:shito
まず、Chu!。
そして、ごめん、が耳に残る。
たすけて
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔(飯田有子)
書肆侃侃房『林檎貫通式』
(現代短歌クラシックス01)
枝毛とか、西川毛布のタグ、奇抜な登場アイテムに、歌意をとることがしばし阻まれる。ほんとうはただただ具体的なだけに過ぎないのである。
されば、一読した、その瞬間の印象だけで十分な一首ではないのか。
すなわち、たすけて、が耳に強烈に、かつ鋭く響くこと。
9
わたしの、音楽に詳しい友人に、このような見解を聞いた。
「可愛くてごめん」は歌詞が8割のインパクトを持つ楽曲で、この歌詞を100%生かすためにリズムとメロディが作られたと思われます。
わたしの友人の言葉
これは昔の多くの歌にも当てはまることですが、いわゆる “語り” に近いんですね。構成も Aメロ-Bメロ-サビ-Cメロ-サビのシンプルな流れですし、メロディラインもコード進行もあえて複雑なものにしていません。
この逆のパターンはミスチルや桑田佳祐に多いです。歌詞カードを見ないと何を言ってるのかわからない歌が多いでしょう? メロディ重視でことばを音として利用しているからなんですね
友人の話していないことは一言も加えていませんが、文責は、なべてわたくし式守にあります。
10
飯田有子の「たすけて」は、再読するにおいて、果たして、そこにある文字は必要だろうか。
完全に定型を順守して、その韻律に言葉をのせるよりも、もはや破調とさえ言えない韻文に、「たすけて」をのせて、そのインパクトは、100%生かされた。
結果、一読しただけで、たすけて、の文字は不要になっていないか。
11
『可愛くてごめん』のエンディング。
Chu! 可愛くてごめん
HoneyWorks『可愛くてごめん』
努力しちゃってごめん
Chu! 尊くてごめん
女子力高くてごめん
ムカついちゃうよね? ざまあ
作詞:shito

拭い難い不安はなおある。
同性の女子に問いかけている、というよりは、自分に、自問自答で、自己暗示を与えている。
が、主人公は、ペルソナに同類の女子を設定して、自分の誇りを、あるいは、女子の誇りを、おりおり守るのである。
女子たればこういう言動は避けるものだ、
とかなんとかの、くだらない規範をうっちゃって、女子であることはそのままに、女子であるこから果敢に脱しようとしているのではないか。
と、鑑賞してみるのはどうか。
「ごめん」と発することを合図に。
「ごめん」を合図に。
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たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔(飯田有子)
書肆侃侃房『林檎貫通式』
(現代短歌クラシックス01)
ラストは、顔を、自力でなで回している。
このラストの「たすけて」は、「たすけて」と呼びかけてはいるが、最後は自分を頼りにするしかないことを既に覚悟している。
だから、顔を、自力でなで回すのである。
ああ、もうこの顔。
と、この顔が疎ましくできれば両手で覆い隠したい。
なぜ?
ご面相に自信がない?
違うな。
女子であること、
と、読んでみるのはどうか。
だって、姉さんに「たすけて」と言っている。
が、この人生は、姉さんに、いつまでも味方してもらえるほど甘くないのである。
「たすけて」と呼びかけてはいるが、ここに、もう「姉さん」はいない。それを、<わたし>もよくわかっているのではないか。
女子であるばかりに閉塞した条件に縛られて、今、<わたし>は苦悩している。
女が女を生きれば、あ、いや、男が男を生きるでもそうなのであるが、他者の、あるいは内省による自分の槍先が、自分に向けられてしまう。
されど、「たすけて」の一言を合図に、自分の誇りを、あるいは、女子の誇りを、<わたし>は、守るのである。
四半世紀前の『可愛くてごめん』ではないか。
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飯田有子の短歌の「たすけて」の<わたし>は、この人生を、また、女子であることを迷う。
現代社会の若い女子は、青春期の、この道に咲く熟れた毒の実を詠んでしまうのである。
現代社会で、女性たちは、平安期の女性のように、寂美の梅を詠みつつも天真爛漫とはいかないのである。
さかづきに梅の花うけて思ふどち飲みてののちは散らむともよし(坂上女郎)
王朝自由主義の中の明るい女性たちが、男どちと打ち交じって、杯を唇にあてている姿が目に見えるようだ。かの女たちの恋愛観もまたこのうちに酌みとれる。
吉川英治「梅ちらほら」
「王朝女性と蓮月」より
現代社会の女性歌の、これではダメだとも、こうこなくちゃとも思っていないが、いかに詠むかの変化を余儀なくされていることからは、わたくし式守は、目を離すことができない。興味が尽きない。
それが、飯田有子の「たすけて」の<わたし>であり、他ジャンルでは、『可愛くてごめん』の「ごめん」の主人公である。
女子である自己規定を脱する代償が見えていない。
男が男であることから脱することもまたそうなのであるが、代償がいかほどか、それを見通せる人などいない。
「たすけて」の女子も、「どめん」の女子も、ではどう生きるか、については異なるが、どう抵抗するか、については、さしあたって、世間に歴と存在する女子性に殉じることは自らに禁じている。
女子であるばかりに閉塞した条件に縛られることにこれだけ果敢であることは、「たすけて」も「ごめん」も、そのまま短歌と楽曲へのまことに誠実な姿勢でもあろうか。
合図が要るのだ。そのためのメロディーが要るのだ。
短歌でも。また楽曲でも。
飯田有子に、時代は、ついに追いついた。
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河出書房新社ホームページ
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『トナカイ語研究日誌』ホームページ
YouTube『可愛くてごめん』
歌歴の長い人には夙に知られていますが、山田航さんの『トナカイ語研究日誌』は、多くの歌人が紹介されてある、短歌を始めたばかりの人にまことに役に立つサイトです。わたしも現代歌人の名をほとんどまったく知らない頃は、このサイトで、多くの歌人とその短歌を知ることができました。
『可愛くてごめん』は、たくさんの人がカバーしていますが、ここでは、最も視聴されているものにリンクを張りました。
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