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AIにやつてもらへば一秒もかからぬ作業 一日かけて(本多真弓)
中央公論新社
『うたわない女はいない 働く三十六歌仙』
(まだ産める)より
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『うたわない女はいない 働く三十六歌仙』は、どの歌人のどの連作もおもしろく読めた。
ここでは本多真弓さんの作品より。
本多真弓さんは既に名のよく知られた歌人である。よく知られている作品も少なくなくおありである。
とある朝クリーム色の電話機に変化(へんげ)なしたり受付嬢は(本多真弓)
録音でない駅員のこゑがする駅はなにかが起きてゐる駅(同)
わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに(同)
いずれも
六花書林
『猫を踏まずに』より
一言、おもしろいですよね。
でも、おもしろいだけで括れなくないですか。
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最初に引いた一首も、おもしろいな性が、わたしに、その指数は高かった。ばかりか、一冊を読み進める途中で、わたしを、しばらく立ち止まらせる力があった。
「作業」なる語彙に徹底したリアリズムを覚えた。読者たるわたくしの来し方を貫いた。
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「AIにやつてもらへば」であるが、こんな「作業」はじきに「一秒」で済んでしまう、との歌意なのか。
「AIにやつてもらえば」既にして「一秒」で可能な「作業」なのに、社内事情で人的作業に頼るしかない、そういう歌意なのか。
あるいは、現代ではもう、さして身体的負荷がかからない「作業」を、かつては「一日かけていた」ものだ、とのその“かつて”を詠んだのか。
個々に確認して俯瞰したわけではないが、『うたわない女はいない 働く三十六歌仙』は、選ばれた歌人の年齢層が比較的若い。
が、この一首では、わたくし式守は、若い人の短歌群よりも来し方の長さを感得した。
本多真弓さんは、年代が、わたくしと同じである。アタリマエと言えばアタリマエか。
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2に引いた三首も、1に引いた一首も、働くことのリアリズムの一点で、地続きに存在している作品群と言えないか。
この国の飽くなき合理化を嗤っておられる。
あ、いや、これを詠まれた本多真弓さんご本人は、何も嗤って詠んだおつもりなどなかったのかも知れないが。
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中央公論新社『うたわない女はいない 働く三十六歌仙』の(まだ産める)で、1に引いた一首の次に、次の一首を、本多真弓さんは並べた。
わたくしがまだヒューマンであるがゆゑヒューマンエラーをすぽんと(産/理)める
なるほど、IT技術が殷盛を極めているかの現代にあっても、所詮は、人海戦術が生命線の「作業」はまだあるのである。
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わたくしの「働く」において、残業が、200時間などざらにあった。
そういう時代だった。
「AIにやつてもらへば一秒もかからぬ作業 一日かけて」いたからだ。
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終電などもうとっくに出ているのでタクシーで帰宅して、寝も足りぬままに朝の駅のホームに立てば、線路に飛び込んで死んでしまおうか、と思うこと常だった。
「録音でない駅員のこゑがする駅はなにかが起きてゐる駅」はなかった。
全身で落胆した。
毎朝。毎朝である。
遅刻する正当な理由がこれで一つつぶれたのである。
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会社の最寄り駅を降りて、会社に行かない正当な理由はまだないか、なお探っていた。
誰か気のふれた人がわたしを刃物で刺してくれないだろうか。誰かむしゃくしゃしていて人を刺してみたい人、ここにいますよ、どうぞ、と。
この国は既に治安のよさを誇れない時代に突入していたのに、わたしを、誰一人刺すことはなかった。
「わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに」この身はずんずん会社に近くなってゆくのである。
国家としてみれば慶賀に堪えない朝ではないか。それを、わたしは、落胆していたのである。
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わたしの仕事の一つに、法人税申告書の作成というものがあった。
これ、今では、便利なソフトが出ている。しかし、30年前は、そんなものはなかった。何から何まで手書きである。
100億の数字を、いくつもいくつもひたすら叩いて、申告書内の整合性を完全にしないといけなかった。
すなわち、
「AIにやつてもらへば一秒もかからぬ作業 一日かけて」だった。
それも一日で終わるようなシロモノでないことを。
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いっそこの身が機械と同質になれば楽なのであるが、病に備える収入のための労働で病になるような暮らしに、失望以外の何を生み出す。
ついては自分というものに思いやりを持たなくなる。
「働く」なるにおいて、わたくし式守は、よくも死ななかったものだ。
習慣も度を越せば人を殺す。
過労死か。
違う。
自殺である。
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