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自律神経失調症と言ふ医者はみんなヤブだと息子が言へり(花山多佳子)
本阿弥書店『歌壇』
2016.1月号
「ザムザ」より
一読して、一言、おもしろかった。
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結論的に、そんなことはない。
ないし、「自律神経失調症と言ふ」のが適正な症例が、現代の医療現場に数多ある。
が、<わたし>の息子さんの、この一言は、世間の声を反映していない、とは言えない。
こんな発言はアウトだろう、とならないのだ。
現実の問題として、専門医として著しく逸脱した医師が存在していて、もっとピンポイントで診断できるところを、自律神経失調症で済ませてしまう医師はいるのかも知れない。
が、この一首は、そのような医師の存在を、まさか糾弾しているものではあるまい。
3
要は、自律神経失調症なるものが、なんだかうすらぼんやりした印象の「症」なのである。
で、もっとピンポイントで診断できるのに、とりあえず自律神経失調症にしておいて、ありていに言えば、正しくはないが、誤ってもいない、としてはいないか。
ならばおれでも医者をやれるぞ、と。
4
ここのところやけに胃腸の具合がよくないわ、
となって、時間を縫って、やっと内科の受診をしたのに、
ストレスですな、
と言われれば、こいつはヤブだ、と言いたくもなろう。
ストレスを告げるあんたにストレスはないんですか。
ストレスのない人がこの世界にいますか、と。
が、このストレスとやらは、たしかに病気の発症や悪化につながるものなのである。
5
でも、ストレスって何よ。
厚生労働省がこう言っている。
(前略)
厚生労働省『こころの耳』
こころや体にかかる外部からの刺激をストレッサーと言い、ストレッサーに適応しようとして、こころや体に生じたさまざまな反応をストレス反応と言います。
私たちのこころや体に影響を及ぼすストレッサーには、「物理的ストレッサー」(暑さや寒さ、騒音や混雑など)、「化学的ストレッサー」(公害物質、薬物、酸素欠乏・過剰、一酸化炭素など)、「心理・社会的ストレッサー」(人間関係や仕事上の問題、家庭の問題など)があります。普段私たちが「ストレス」と言っているものの多くは、この「心理・社会的ストレッサー」のことを指しています。職場では、仕事の量や質、対人関係をはじめ、さまざまな要因がストレッサーとなりうる
(後略)
1 ストレスとは
(2)ストレスとは
より
上引用の「こころや体に生じたさまざまな反応」が自律神経失調症か。
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うす暗き部屋にふとんが盛りあがり踠けばザムザといふほかはなく(花山多佳子)
『同』
「同」より
「ザムザ」を想起した<わたし>の心象に、この一首は、容易に想像が届く。
カフカの『変身』のザムザほどではないにしても、<わたし>は、花山家の、ご自分がザムザ的な一人ではないか、少しは頭をかすめたと思われるのであるが、どうか。
さらに、であるが、「うす暗き部屋にふとんが盛りあが」っていた、と。この「うす暗き」に、<わたし>をめぐる、ご家庭内をも超えての不穏な空気を覚える。
7
カフカの『変身』において、主人公のザムザは、外観を虫として描かれるが、ほんとうは人間の外観をかろうじて保っていて、しかし、人間でいられないほどの姿になりはてた、それを、直截的ではあるが、虫とした、と読んでみるのはどうか。
8
ザムザは、最終的に、この世界にいないことにされてしまう。
あたかもザムザがそこにいないことで、一家は、平静を取り戻す。ばかりか明るい未来を夢に描く。
9
読み返す。
うす暗き部屋にふとんが盛りあがり踠けばザムザといふほかはなく(花山多佳子)
この一首の<わたし>に、ご家庭内で、その存在がなかったことにされてしまう、という展開は待っていない。
これではザムザだわ、
とはなっても、
あらやだ、わたしは、虫になってしまったわ、
とまでなってはいないのである。
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あらやだ、わたしは、虫になってしまったわ、
となったとする。
<わたし>は、鏡に、虫が見えてしまうのである。
精神科の領域の治療のレールに乗る必要がある。
が、これではザムザだわ、
なんて程度だったとする。
ストレスですな、
などと言われることがあろうか。
(誤診ではない)
「こころや体に生じたさまざまな反応」を認めるに至って、診断は、自律神経失調症に着地するかも知れない。
(誤診ではない)
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ザムザ=虫=ストレス
なに、ストレスを、現代人はすべからく警戒せよ、と謳われてはいるが、また、職業の位相で、働き方改革なんてものがいよいよ推進されてもいるが、誰もが、ザムザと紙一重の差を生きているのである。
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『変身』のほとんど始まりのところに、ザムザの、こんなセリフがある。
ほれ、
ここ極東に生きる現代人とどれほど差がある。
「ああ、なんという骨の折れる職業をおれは選んでしまったんだろう」と、彼は思った。「毎日、毎日、旅に出ているのだ。自分の土地での本来の商売におけるよりも、商売上の神経の疲れはずっと大きいし、その上、旅の苦労というものがかかっている。汽車の乗換え連絡、不規則で粗末な食事、たえず相手が変って長つづきせず、けっして心からうちとけ合うようなことのない人づき合い。まったくいまいましいことだ!」
フランツ・カフカ『変身』
原田義人訳より
わたくし式守も、こんな時代を生きたことがある。
平均睡眠時間4時間。
年間休日2日。
よく生き延びた。
たしかに「まったくいまいましいことだ!」
まったく。
まったく。
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ザムザになるかならないか、人間に、それは、紙一重の差なのである。
厚生労働省のお力を借りなくても、現代は、誰もがそう思っていて、こんなものは、今さらの見解なのである。
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この紙一重の差にあることを詠むところが、わたくし式守に、花山多佳子の短歌の最大の魅力である。
樅ノ木の巨いなる幹立ちならぶ丘に墓ありうしろは崖にて(花山多佳子)
本阿弥書店『歌壇』
2017.3月号
「凧」より
寒心にたえない景と調べ。
それゆえの緊張の美。
結句の「にて」に戦慄する。
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