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「クロッカスが咲きました」という書き出しでふいに手紙を書きたくなりぬ(俵万智)
河出書房新社
『サラダ記念日』
(待ち人ごっこ)より
この一首を読み返したこと何度目か、わたしは、『サラダ記念日』から顔を上げた。
わたしも短歌をつくってみよう。
70年代以降に生まれた人は想像の範囲でしかないだろうが、『サラダ記念日』がどれだけ売れたか、わたしは、肌で知っている。
手に取らなかったが。
出版は、昭和62年(1987年)。わたしは若かった(が、夢も希望もなかった)。
30年の時を経て、当時は手に取らなかった歌集の一首が、清掃作業員の人生を変えたわけだ。
俵万智は、わたしの2コ上のお姉さんである。
2
この姉さんはどれだけ日本語を愛しているんだ。
こんなことを考える人はたしかにいる。
中にはほんとうにそうする人もいる。
でも、その寸時のおもいを一首にして、ふだんはひとびとに隠れてしまっている日本語文化の聚楽を、こうも鮮やかに目の前に映し出せる人はそういまい。
短歌という詩の前に、まず日本語が好きなごようすである。
日本語を使いたくてしかたないんだ。
が、それを、どこで使う。
どこかいいとこないやろか。
短歌の神が現れた。
かくして、姉さんは、短歌の世界に招かれた。
ぬぁんて考えなきゃこんな一首が生まれるものか。
3
どうでもいい個人情報であるが、わたしは、ラジオの深夜放送をよく聴いていた。
だからかわたしは、人の音声については、一家言ある。
テレビに出演している俵万智の音声は、「う」の段が実にきれいなのである。
「う」の音、
うくすつぬふむゆるう
これをきれいに発声しようと思えば、これは存外、人に、そこそこ難しい技なのである。
いずれでもいい。YouTubeの俵万智を聴いてみるといい。
わたしの観察が、けして妄言ではないことが、そこでよく知れよう。
「う」音を人がきれいに発するのは、微量の熱が生まれるのである。
試してみよう。
「クロッカスが咲きました」
とい
う書き出しで
ふいに手紙を書きたくなり
ぬ
ちゃんと朗読しようとすれば、黙読だってやっぱりそうなのであるが、この一首は、熱量が増すようにできている。
4
サラダなんたらが売れているらしい、
となって、
わたしは、絶対に手に取らなかった。
あれだけ騒がれれば、こっちが望んでもいないのに、作者の、すなわち俵万智の素性が耳に入る。
名門大学卒業→高校教師
これでわたしは、手に取らないことを誓った。
アタリマエだ。
名門に合格するまでの投資とその準備に集中できる家庭環境があった。
教師になるための時間を割ける余裕があった。
要は好きなことを好きなだけできる子なのだ。
おれだってこんな人生歩みたかったよ!
こんなのんきな娘を世に出すような国だからみんな土地投機なんてバカなことに浮かれる。
意に染まぬ青春時代を送る、これは、わたしのせめてもの矜持だったのである。
なつかしくもあるが、つくづく若い。
恥じ入る。
だが、のんきはわたしの方だった。
5
「クロッカスが咲きました」という書き出しでふいに手紙を書きたくなりぬ(俵万智)
なんてきれいな「ふいに」だろうか。
人生になんてきれいな1秒だろうか。
わたしが『サラダ記念日』を読むことになったのは、そこが仕事場であるゴミ置き場に、わたしに残酷でしかなかった『サラダ記念日』が汚れて棄てられていたからだった。
その1秒の、わたしの歪んだ笑みが、どれだけ醜かったことか。
俵万智とわたくし式守には、たった「1秒」に、これだけの差があるのである。
人生をやり直してみよう。
一首でいい。
わたしも世の中に、誰かに、手紙を届けてみよう。
わたしはここでようやく、俵万智からの手紙を、クロッカスの書き出しの手紙を受け取った。
ほんとうは、とっくに届いていたのを。
手を伸ばせば容易に手に取れるところにいつもあったのを。
「う」音の美しい手紙だった。
日本語を愛し抜いているすてきな若い女性の手紙だった。
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