阪森郁代の短歌/司馬遼太郎を経て圧倒的な<ひとり>を知る

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作者とオーバーラップする物語がある。
たとえば親にこんな目に遭っていますとか。たとえば誰ともフツーのおつきあいができませんとか。
いっぱいいるって、そんなの。
読んでいたけど。

30近くになると、そのような小説を、まったく読めなくなってしまった。

自己療法につきあわされるヒマはないのだ。そもそもそのような話はむしろお金を払って聞いてもらう類じゃないのか。
と、そうまでは言わない。

そうまでは言わないが、たとえば敬える友人や年長者に勇気を出して打ち明けて、そのように、日々、都度々々、壁を越えて生きてゆく方が、人生の経験値は、よっぽど上がってくれるんじゃないのか。

ならばそれでよし。
しかし、へたに志なんて持ったばかりに、もっともっとと求めてしまうのである。この人生にいかに価値を置けばいいかを。

されど、自己療法の小説の、しかし、その質の高いものは、わたしの身の周りに、あまりに貧困であることを知ってしまった、ということである。

世評高い司馬遼太郎作品との縁があった。
驚いた。

中世末期の戦国絵巻は、ここに、ほとんど完成を見ているではないか。
これでは後進の人にハードルがいかに高いか気の毒になった。

たしかな人間がいた。
たしかな<わたし>がいた。たしかな<ひとり>があった。

歴史上の英雄の何たるかに、わたしは、人間の悲哀を発見した。

そして、歴史には、数多の敗者がいて、敗者が、敗者のままに情熱を失うことのないさまのあることも教わった。たとえこの身は朽ちようとも、新鮮な感度を保つ人が、この国の歴史には、いくらでもいたのである。

もっとも、一方で、平凡はおろか愚人に還る者も数多いたのであるが。

さまざまな<わたし>がいた。さまざまな<ひとり>があった。

短歌の世界に入って、わたくし式守に、司馬遼太郎の手による<ひとり>は、いつしか歌人たちの<わたし>と整合した。

歌人の阪森郁代。
その作品群の<わたし>にひとりでいることはまことよく似合う。

一言で言い切るようで気がさすが、阪森郁代の魅力はここに尽きる、とは言っていない。
そうではない。そうではない。
阪森郁代に、わたしは、こう思えたのである。

ひとりでいることがなぜこうも似合うのか、ここに、短歌が実人生の上位に置けることがある秘密を解くヒントがないか。

ゼラニウムあつけらかんと咲く庭に過ぎなかつたがしんみりとゐた(阪森郁代)

本阿弥書店『歌壇』
2015.10月号
「三色旗」より

ゼラニウム/庭/しんみりと

過ぎなかつたが/過ぎなかつたが/過ぎなかつたが

おい、おい、おい、おい。
何なんだよ、このおひとりさまの、圧倒的な時空。

阪森郁代は、もとより史上の英雄ではない。史上の敗者を生きておいででもないが。

されど、いかにしても変わらない<ひとり>が、司馬遼太郎の作品群の<ひとり>と同じ強度で存在している。
鑿でこつこつ木を彫るかの、この文学的作業は、わたくし式守に、司馬遼太郎と等しい畏怖を覚えないではいられなかった。

何もない場所に来たれば青空のひびのひとつにすぎぬ私(阪森郁代)

角川書店『ナイルブルー』
(歩く感傷)より

人気なき寺院の裏手ヴェランダにたなびくシーツが神を隠した(阪森郁代)

本阿弥書店『歌壇』
2015.10月号
「三色旗」より

自己療法の小説の、しかし、その質の高くないものに、このような世界の構造は剔出されていなかった。

「神」は、神学上の、あるいは、信仰上のものではあるまい。
「神」は、どこかに身を潜めておいでらしい。その「神」と対置した<わたし>は、「たなびくシーツ」によってどこまでも<ひとり>の体感を持った。

人一人の<ひとり>の<わたし>を自覚するに強靭な精神のあるを、当初はそんなものを求めてなどいなかったのに、阪森郁代の短歌に知るのである。

それぞれの朝をうべなふ鰯(サーディン)にはレモンの呪文 ほんの数滴(阪森郁代)

『同』
「同」より

「ほんの数滴」に戦慄する。

「呪文」である、と。
まるでこの日の自分をまるごと賭けておいでではないか。

狭くして広く、地味にして華美な朝に、<わたし>は、この「朝をうべな」って、身をめぐる世界に、涼しい光沢を生む。

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阪森郁代は、いついずこもささいな一隅にしかおられないが、ささいな一隅に息をつめて、そこに、いかんとも動かし得ない<ひとり>を写し取るのである。

だからと言って、<ひとり>を歩むところの、阪森郁代の手による<わたし>なるは、短歌に、世上にどうとでもなるような失望は表現していない。

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