
1
反意語を持たないもののあかるさに満ちて時計は音たてており(大滝和子)
この一首の「反意語を持たないもの」を、わたくし式守は、どうしても女性としか読めない。
つまり、女性の「あかるさに満ちて」時は進んでいる、と。
よって「反意語」は男性ということになる。
男性に左右されることなく、といった類の意味合いは付加されない。
時間軸に男性などいないのである。女性がただただ時間であること。
2
反意語を持たないもののあかるさに満ちて時計は音たてており(大滝和子)
東京堂出版
『現代短歌の鑑賞事典』
馬場あき子【監修】
大滝和子・<秀歌選>
(『銀河を産んだように』
平6)より
大滝和子の歌集は、図書館で借りて、その歌集で、既に読んでありますが、今回は、他の作品も、この『現代短歌の鑑賞事典』を典拠にいたします。
なお、巻末近くの「編集委員担当一覧」によれば、<秀歌選>の選歌は、小島ゆかりさんの手によるものです。
3
接吻に音階あるを知らざりしころより咲けるさ庭の百合よ(大滝和子)
(同)より
この一首の「接吻に音階あるを知らざりし」が、ファーストキスがまだだった、の意味なのか、ファーストキスは体験したが、まだ「音階ある」ことは知らなかった、の意味なのか、そのあたりの追求もしたくなるが、ここでは、どっちでもいい。
いつしか「接吻に音階あるを知」ったのである、この一首の<わたし>は。
「音階ある」ときたか。
キスしていたらだんだん燃えてきちゃったわ、てなことになるのか。だんだん燃えてきちゃったわ、なんて品のない言い替えは、大滝和子の「音階」の対極にありそうだ。
男性は、やはり女性の反意語なのか、「接吻」に、「音階」なんて体感を得られることを知っている男性がどれだけいよう。
もうびんびんだぜ、なんて言ったりするぞ、うすらバカな男という生き物は。ドン引き。
男性の、びんびんなんてオノマトペは、女性内の官能に生まれることがない。
美しくなければならぬ。
ふだんのくらしでは聴くことのかなわないほど霊妙かつ深く愛がある音楽でなければならぬ。
女性内官能の、まこと美しかろう音楽を、男性は、けして聴くことができない。
びんびんが、それはもううるさく鳴っている。他の音楽、それも美しい音楽など鳴らせようわけがない。
<わたし>は、この、音楽的な官能をまだ知らない時も、さ庭に、美しい百合が咲いていたことを思い出す。
「百合」であることで、大滝和子の人生は、キスなど遠い未来に既にして女性性が帯びていたことを知る。
これがただの「花」であれば、つまらない女のラベリングになってしまおうが、「百合」ともなれば、女性の、神話的な象徴である。
さ庭に咲いていたどころではない。大滝和子の誕生を待って、百合は、あたかも太古の昔から咲いていたかである。
4
レッドとはなんとさみしい色だろう アスファルトのうえ濡れいる雑誌(大滝和子)
(『人類のヴァイオリン』
平12)より
この一首の「レッド」の方は、女を、つまらないラベリングしたものになろうか。
<わたし>も、ほれ、これを、さみしい、と。
「アスファルトのうえ濡れいる雑誌」ともなれば、おおかた少年もしくは中高年男性の雑誌で、表紙に、水着姿の、胸のでっかい女子でもいたのであろう。雨に濡れて。ふにゃふにゃになって。
男にとって、時に、女はこのような扱いを受ける。
とまでは言わない。
しかし、女子がおこづかいで購入した雑誌の、表紙の美少年が、街で、雨に濡れて、ふにゃふにゃになっているところを目にしたことはない。
女性の反意語なる男性は、女性なる時間に、暗鬱な存在になることがある。
もっと言ってしまえば、女が、男で穢れる。
5
月齢はさまざまなるにいくたびも君をとおして人類を抱く(大滝和子)
(同)より
この一首を、わたくし式守は、まだ月齢児のわが子を抱きしめる、とは読めない。
いや、フツーにそのような歌なのかも知れないが、わたくし式守は、「君」に、吾子をどうしてもイメージできないのである。
月齢児の吾子であると読むことを、初句の「月齢」こそが、阻むのである。
「君」が、無数に存在する男性の中の、特定のどなたかであろう、としても、常識的な相聞歌とは一線を画している印象を持つ。
やはり初句の「月齢」である。
もっと言ってしまえば、「月」である。
「君」がちょうど三十歳だとする。月齢に換算すると360ケ月の子なのである。
人間の時間の単位は、「月」こそが、大滝和子に、もっとも具合がいいからなのではないか。
6
はるかなる過去があった。はるかなる未来もあろう。
「君」は、その時間軸の、ほんの一点でしかない。中天の月のごとくに。
一個体としてほんの一点なのはもちろんであるが、男性なるものは、時間軸たり得ない。
とも思えてくる。
女性は、時間軸の一点でしかないことはない。
「人類を抱く」一生命体は、一点でしかないかも知れない。が、人類を抱く女性なるものは、男性なる反意語を持っていない。
それは永遠に。
永遠に、である。
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最後に読み返す。
反意語を持たないもののあかるさに満ちて時計は音たてており(大滝和子)
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