松村由利子の短歌/三島由紀夫と遠藤周作を経てこの最高傑作

二十歳前後だった。
われの老いゆくに二つありき。

三島由紀夫と遠藤周作である。

若き三島由紀夫が夭折を願うこと、いかにそれが美の体現であるにしても、ずいぶんな人生に眺められたものだ。

いのちをわれのみのものと考えてでもおいでか。
もうたくさんな人生でもそれを捨てるわけにはいかない人もいように。

天才としてその名を残す作品を世に送り出して、自分は、この世からいなくなる。実現すれば、それはさぞ、甘美な死ではあろうが。

わたし程度のおつむでも、そのような詩的夢想を本気で願えることこそが、その文学的偉業に資するくらいは、容易に理解できる。

芸術の前にまず衣食住だ。
これでは、『仮面の告白』も『金閣寺』も、世界史に、その作品が刻まれることはなかったわけだ。

三島由紀夫は、その実人生で、たしかに老いは迎えなかった。

遠藤周作の狐狸庵山人の雅号は、それを名乗ったのは、まだ四十代だった。

二十歳前後にそうは思わなかったが、今になってみると、ずいぶん若いうちに老いを打ち出していたものだとの印象を持つ。

第三の新人たちのなかで、遠藤周作は、比較的早く注目された。
ただし、それは、小説の実作ではない。フランスに留学までした新進気鋭の評論家として。

そのことに当時すでに忸怩たる氏だった。そのようにしか見られない自分を何とかしたいと足掻いてもおられた。

それだけじゃないことは、その著書でやがて、氏は、これでもかと世間に見せたものだったが。

『沈黙』は、神学上の批判はいったん措くとして、この国における神の限界を、そのような神の正否ではなしに、日本人を前に神はなぜこうもなるのか、日本人以外にも問い詰めた。

世界は更新された。

こんな小説をものしてしまえる頭脳が人間にはあるのである。

狐狸庵山人にでもならないことには、遠藤周作もまた、早死にしていたとしても不自然はあるまい。

ふつうの人の何倍もおつむがいい人生とはどれだけたいへんなのだろう。

あのように老いを進めた遠藤周作。
あのように若くして死んだ三島由紀夫。

人生百年時代だそうな。
やったわ、長生きできるわ、などと本気でよろこべる人などいまいに。

先日、そこは近所だったのに、なぜ自分はここを歩いているのか、ここはいったいどこなのかわからなくなって、途方に暮れたことがあった。
全身の血が凍りついた。

ぼんやり歩いていればそんなことだってある。若い時分にもない話ではないのである。
しかし、五十代後半になっての、この時の恐怖は、二十歳前後には味わったことのない恐怖があった。

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介護施設の清掃に従事したことがある。
わたしとさして年齢の変わらぬ女性が、若い男性の前で、ぼんやりと座っているのを見た。
女性は、目の前の若者が、ご自分の息子であることを理解していない。

記憶とは愛なり記憶なくしたる世界の暗き混濁思う(松村由利子)

短歌研究社『大女伝説』
「夢の器」より

介護詠ではない。老いてこそ知り得た人生の得失でもない。
老いているただそのこと。

三島由紀夫も遠藤周作も、老いに、このように踏み込んでいない。
小説と短歌の違いと言ってしまえばそれまでであるが、これが、韻文の強さではないか。

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袋菓子抱えて一人しゃがみ込む百歳のわれ施設の庭に(松村由利子)

チョコレートで書かれた「百歳おめでとう」ケーキにずぶと指を突き刺す(同)

いずれも
『大女伝説』
「夢の器」より

人生の果ての圧倒的な姿がここに描かれた。

「袋菓子抱えて一人しゃがみ込む」このイメージは、これまで経験した物語のどの登場人物にもない迫力がある。

人間の偽善を嗤うこと、「ケーキにずぶと指を突き刺」して表現され得る、ここに、短歌の力があろうこと。

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ものの名前みんな忘れて立つときにああ美しき世界の夕暮れ(松村由利子)

「夢の器」より

わが短歌史に、松村由利子のこの短歌は、五指に屈する美しさがある。
この世界の真がある。
人の心の善がある。

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松村由利子もまた、ふつうの人の幾倍も、おつむのよさがおありなのであろう。
しかし、松村由利子には、眺めていていかにもくたびれるものがない。

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