
1
歌集は高価。
短歌は紙と鉛筆があればできる、とか。
そうだろうか。
もっとたくさん歌集を読みたい、となって、わたしがまず困ったことは、歌集とはさして容易に入手できるものでもなかったこと。
図書館にもあるにはあるが、それでも限りがある。
短歌の世界は、謹呈文化だったのである。
それで短歌の文化が保護されている面もあって、高価であることを一断するのは拙速であることを、わたしも、だんだんわかってはきたが、だからと言って、もっと読まれるべき歌集が読まれる機会を失っていることを、わたしは、今ものみこめないでいる。
2
松村由利子の歌集のどれでもいい。
とにかく一冊だけでも手に入れて、これを集中して、何度も、何度も読み返したかった。
松村由利子『大女伝説』(短歌研究社)
夢が叶った。
松村由利子に、わたしは、2回の恩がある。
3
あの騒ぎから遅れること30年を経て、俵万智の『サラダ記念日』を、わたしはやっと手に取った。
それで短歌の世界に入ったのであるが、入ったはいいが、他の歌人の歌集も読んでみたい、となっても、まず歌人の名を知らない。
どの歌人のどの歌集から読もう、となっても、実際に手に取って、よし、これだ、なんてストーリーが生まれないのである。
歌集を手に取るにも歌集がない。
やめようかな、短歌。
もういいかな、と。
そうなるとどれもつまらなそうに見えてきた。
ところが……、
ネットで短歌関係の記事を読んでいると、おおっ、となる作品がいくつかあって、わたしは、その作者の中で、松村由利子の名を記憶した。
その作品をここにいちいち引かないが、他の歌人も、そこにはもちろんおられたのであるが、これが人の縁の不思議で、わたしは、松村由利子を、俵万智の次に記憶することになったのである。
やっぱり短歌をもっと読んでみよ、っと。
4
わたしは、あれこれ制約があって、結社に入れない。
自作を世に出したければ、メディアに投稿というものをして、選者の評価を得なければならないのである。
いくら送っても採用されることはなかった。
あ、いや、いくつかは採用されたが、にしたって、千を超える数の不採用で、都度、「才能がない」を突きつけられれば、モチベーションだって下がる。
負け惜しみではないが、これでモチベーションを維持できるとすれば、逆に不健全である。
何よりからだに毒だ。
ところが……、
これを最後にしよう、と送った作品が採用されたのである。
『NHK短歌』題詠「耳」
選者は、松村由利子だった。
もうすこしやってみよう。
5
入手してよかった。
むろん失望などなかった。
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