
1
警報器が鳴って遮断機下り始む今日は誰とも話していない(国分良子)
本阿弥書店
『ぴいかんの空』
(鳥海山)より
こんなことはある。
まったく同じ経験は一度もないのにわかる。
2
「今日は誰とも話していない」なあ、と踏切で思ったのである。
警報器が鳴った。
時あたかも遮断機が下り始めている。
なぜこのタイミングに。なぜこの場所で、とは言わない。
信号が赤で止まったタイミングにそう思ったっていいではないか。
警報器が鳴っていたことを特異点とするのか。だとすれば、信号も、目の不自由な人のために小鳥のメロディーが流れているが。
3
踏切で止まるまでに、おしゃべりしている人とすれ違うことはなかったのか。
あったとすれば、そこでこそ、この人たちのように自分は「今日は誰とも話していない」なあともなろうに。
にしても、踏切の方が、「今日は誰とも話していない」なあ、ともなろう指数ははるかに高い。
と、わたくし式守は読むのであるが、どうか。
4
このあたりは、穂村弘による有名な“砂時計のクビレ”に通底していないでもないが、わたくし式守においては、それでなくもないが、それとはちょっと違うのである。
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに(石川啄木)
氏は、この一首を引用して、
(前略)
小学館文庫
ここ(「錆びしピストル」註・式守)が仮に「朽ちし木片」だったら、どうだろう。
いたく朽ちし木片出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに(改作例)
これでは砂時計のクビレはなくなって、歌は円筒形のコップ型になり、読者は一首のなかで驚異と出逢う機会を持たず、
(後略)
『短歌という爆弾』穂村弘
(麦わら帽子のへこみ)より
5
わたしは、なぜそのタイミングに、というあくまでタイミングに重点を置きたいのである。
繰り返すが、それは、場所ではないのである。
別の一首を引く。
短い秋が短く終わりわかってはもらえぬことがわかってしまう(国分良子)
本阿弥書店
『ぴいかんの空』
(つららつららら)より
秋になったら「わかってはもらえぬことがわかってしまう」そうな。
短い秋が短く終わったから「わかってしまう」のか。それも、「わかってしまう」のは、「わかってはもらえぬこと」を。
これがどこでそうなったかはわからない。秋が終わったタイミングであることは確かなのであるが。
6
唐突で気がさすが、天空は、宇宙の法則に従って変化している。
地上の移り変わりは、天体運行に従っている。春になると桜が咲くように。満開になるともう散ってしまうように。やがて紅葉が美しい秋がくるように。
われわれが地上を生きている経過も、天体の現象の一つ、と考えてみるのはどうか。わたしたち一人一人も天体の法則に依存している生命である、と。
短歌内の主と従の因果関係も天体に依存している、と考えてみるのはどうか?
……?
ずいぶんたいそうだ。
言い換える。
雨が降ると地上が濡れるように、人に思いがけない心情が生まれるのは、天あってなのかも。
7
警報器が鳴って遮断機下り始む今日は誰とも話していない(国分良子)
科学ではまだ説明できないが、<わたし>が「今日は誰とも話していない」なあ、となるのは、このタイミングを待っての“天体の法則”があった。
短い秋が短く終わりわかってはもらえぬことがわかってしまう(国分良子)
科学ではまだ説明できないが、<わたし>に「わかってはもらえぬことがわかってしまう」なあ、となるのは、このタイミングを待っての“天体の法則”があった。
科学では説明できないことなのに、短歌では、そこに確かな因果関係のあることがすとんと胃の腑に落ちるのである。
天の采配にセンサーが反応した短歌は、短歌内の因果関係に、リアリティを持たせる。
8
新たにもう一首。
傘をもつひとも差さないほどの雨検査結果は週明けになる(国分良子)
本阿弥書店
『ぴいかんの空』
(つららつららら)より
「検査結果は週明けになる」のは、医療機関の実務上の結果である。
なのか、ほんとうに。
ほんとうに、ほんとうにそうなのか。
<わたし>に、(それはたいへん不謹慎であるが)あれっ、となる所見があって、検査を大至急することがないとなぜ言える。
幸いそんな所見はなかった。なかった以上は、ふだんの実務通りのペースで検査する。その結果は、週明けでよくなる。
で、天は、ほれ、雨を降らせているではないか。それは「傘をもつひとも差さないほどの雨」を。
検査結果が週明けになることにリアリティが生まれたのは、天が、「傘をもつひとも差さないほどの雨」に依存しているのではないか。
9
天体の法則に則った作歌であれば短歌内のリアリティが増す、と。
よろしい。
では、人間は、手の指一本曲げ伸ばしすることも、既に宇宙内で法則化されているのか。
そうは言っていない。
全ては天の思し召しとは言わない。
人間の行動が天に依存していることがあって、そんな短歌は、読者に真実味を持たせることがありませんか、そう言いたいだけである。
10
<リリマン>のポイントカードに空欄は三つ残って閉店となる(国分良子)
本阿弥書店
『ぴいかんの空』
(つららつららら)より
惜しい。
あと3つ。あと3つポイントを貯めるお買いものをして、安く買いものしておけばよかった。
この一首は、天体がいかなるものだったか、その情報がない。
<リリマン>の盛衰にリアリティが増す天の動きがやはりあったのか、なかったのか。
11
<リリマン>のポイントカードについては、こうなるかと。
<わたし>を含めて、地上の人々が、ここで支配されているのは、<リリマン>の販促である。<わたし>は、<リリマン>の販促を、その最後まで活用しなかった。
<わたし>に、<リリマン>の販促の訴求力は、その程度だったのである。ほかの客は知らない。が、<わたし>とさして変わらないものだったのではないか。だから、ほれ、店長にはお気の毒なことに、<リリマン>さんてば閉店の憂き目に遭ってしまったじゃん。
<リリマン>だけの話ではなかろう。
またまた唐突であるが、平氏も、北条氏も、足利氏も、その盛衰は、人間たちが彼らを歓迎したかどうかである。
天体の運行が人間を介して歴史をつくってきた。が、そこまで話を大きくしたものは、大河小説の仕事になろうか。
12
が、
遮断機が下りる。
秋が終わる。
小雨が降る。
ポイントカードが紙屑になる。
このようなタイミングにそれまで知らなかった真理を人が知る天の力は、短歌でこそ活かされる。
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