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なぜ小説ではなくて短歌なのか。
なぜ魚屋ではなくて八百屋なのか、とは似て非なる問いである。
(以下、思いつくままに)
2
宮部みゆきを読み漁っていた時に、わたしは、わたしもミステリー系の小説をものして、文壇に打って出たい、などと考えたことがない。
そのような思考回路がそもそもなかった。
このジャンルも、公募の新人賞があって、応募する人が少なくないことを知ってはいたが、そのような人たちがほんとうにいることに現実感がなかった。
3
ただ憧れはあった。
何でもいい。たとえば、いい映画を得られた夜がある。
頭の髪の先から足の爪の先まで感動を覚えて、自分もこんなものを世に送り出せたら、との憧れは、人より強かったと思う。
そこで、映画監督に(あるいは映画の脚本家に)なりたい、となるような思考回路はなかった、というわけである。
4
短歌は手軽そうだからちょっと試すくらいはできた?
まあ、それはある。
俳優や芸人を志す若い人は、ダメだな、となったら、その時はあきらめることが待っている。ところが、短歌は、名が知られないままでも、歌人でいられるのである。
人生にいくらかの制約があって、それがために、細々としかできまいが、短歌であれば、夢をあきらめる、といった類を未来に用意する必要がない。
5
でも、それだけか?
ほんとうにそれだけ?
短歌を始めてみると、そうそう手軽でもないことを知って、これまでに悔いたことがいくたりとあるが。
結社に入って月詠を欠かさず続けている人は、わたしの例と異なろうが、いくらかの制約があって結社に入らないままに、どこかに投稿していることに、「手軽」なんて性質のもので片付けられないものがあるのであるが。
6
一つだけわかってきたことがあって、短歌を読むことは、わたしに、これまでの人生で、最もたのしいことだった。
小説を読むのもいい。映画を観るのももちろんいい。
しかし、わたしには、短歌が、いちばん慕わしいものだったようだ。
7
本を読んで、DVDを観て、わたしも、何かを表現したい、となったとする。
わたしはここで、その小説や映画を為したい、とはならない。そこは過去と同じである。
が、短歌を作りたい、とはなる。
ただ、わたしに、わたしを感動させたサイズで、人を感動させるだけの短歌を作れないのは、いかにも無念である。坪野哲久になれないことが、わたしは、まことに無念である。
8
人は誰でも好きな曲がある。
だからと言って、人がみな、ミュージシャンになりたいわけではない。
が、短歌が好きなわたしは、好きな曲を聴いて、ミュージシャンになりたい、とはならないが、このような曲を、短歌で為してみたい、とはなる。
短歌の作り手でいることに、この点では、たしかに「手軽」なんてものに収まるのかも知れない。
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既に手本がある。それを為し得た例を、わたしは、いくらか持っている。
10
何度でもくり返した季節は
「Butterfly」
二人を変えてきたね
作詞・木村カエラ
木村カエラの「Butterfly」は、これまで何度も聴いてきて、今も、時には日に何度も聴くことがある曲である。それだけわたしに幸福を呼び覚ます力があるのであろう。
木村カエラの「Butterfly」は、もとよりここに結ばれた若い男女の姿であるが、しかし、人生という時間の、まだ若く未来が豊富にある、その一点でしか幸福を覚えられない曲なのだろうか。
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次の短歌はどうだろう。
満開のさくらのしたの老夫婦かたみに<今>を写しあひたり(春野りりん)
本阿弥書店『ここからが空』
(さくらの落款)より
たったひとつだけ暖かい愛に包まれ
「Butterfly」
夢の全てはいつまでもつづくよ
作詞・木村カエラ
そう、この一首は、「いつまでもつづく」先の<今>がある。
「Butterfly」は、象牙の塔ではなかった。
<今>の風になんと穢れなき。
これだけ心耳に満ち足りる<今>を、わたしは、他に知らない。
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この短歌はどうだろう。
すさまじく生き凌ぎける四十年きみの素顔に涙したたる(坪野哲久)
不識書院『胡蝶夢』
(白うつぎ)より
人生をともに歩んだ人にここまで目を極めれば、人生に、他に得たい何があろう。
太陽は沈み いたずらに星は昇る
「Butterfly」
夜は眠り 朝を待つ
作詞・木村カエラ
これまで歩んできた道がいかなるものとて、生命の交響のあでやかなことに、わたしは、敬愛する以外の何ができよう。
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Amazon:春野りりん『ここからが空』
春野りりんツイッター
春野りりんnote
YouTube:木村カエラ『Butterfly』
不識書院のホームページはないようです。
Amazonに現在、『胡蝶夢』の在庫はないようです。(22.10.06現在)
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