
1
十代後半だった。
サディズムとマゾヒズムについて知りたいと思うこと、わたしに、尋常なものでなかった。
カトリック教徒ではないが、自分に自由な時間があれば、遠藤周作の小説を渉猟していた。
三島由紀夫と澁澤龍彦を忌避していたわけではない。たまたま遠藤周作がそばにいただけである。
2
人間の奥にある暗い情動を、誰か、おれに教えてくれ。どうにかなりそうな中でどうにかなりかけているおれを解明してくれ。
遠藤周作は、表現において、修辞にさして意義は置いていないようすだった。
されど、人に話を聞かせる(読ませる)において、常、堂々とした布石を置いておれれた。
人一人の奥にこうも罪深い(とも呼べよう)ものを、まるで手品のように、無から有へわが目の前に鮮やかに見せて、都度、この人生は更新された。
3
魔性ならなおさびしかり 孤独死を範囲に入れて巨峰購(あがな)う(野口あや子)
『かなしき玩具譚』
(短歌研究社)
「ミシン」より
この人生の果てに「孤独死」を夢想する。
わが孤独死が発見される、そこでの光景に、「巨峰」は、どれだけ美しく彩られることか。
美しいが、しかし、人体も果実も、すでに腐りはてていようか。
ご自分の腐りはてた肉体は、果物の、腐りはてているのと同じ価値しかない。
このような究極のマゾヒズムの絵画を、野口あや子は、空気の張りつめていよう日常に、さりげなく掲げてしまえる。
4
短歌の総合誌『歌壇』に連載した「鬼の子 建」に、野口あや子は、次の一首を、『未青年』より引いている。
雪弾を額に享けて死ぬ役に狂気となりてしたがひし日よ(春日井建)
『未青年』収録の歌のこのような余裕
本阿弥書店『歌壇』
2017年9月号
「鬼の子 建」
第一回――荷を負へ
あ、余裕なんだ。
春日井建の後発の連作と比較した上での余裕なのであるが、にしたって、野口あや子ともなると、このような短歌が、余裕と映るらしい。
5
今月のVOGUEのモデルのまなぶたを美しくする修羅の秘訣は(野口あや子)
美しさという執念の一本をポーチの中からひらりと出して(同)
ビューラーの金属光は相聞の拷問器具になりにけるかも(同)
いずれも
『かなしき玩具譚』
「マスカラ」より
「修羅」であり、「執念」であり、果ては「拷問器具」だそうな。
若い女性が、その心に、甘美な快楽を獲得している。
そして、この甘美は、官能かと。
甘美な官能によって、自分を律して、果てに、野口あや子は、死をも夢想してしまうのである。
6
野口あや子は、春日井建に、このような視線を持っておいでだ。
『未青年』に描かれた世界が、周りにはきらびやかで美しいものであったとしても、建自身にとってはのっぴきならない精神との格闘の成果だったのだ。
本阿弥書店『歌壇』
2017年10月号
「鬼の子 建」
第二回――処方箋
なるほど「のっぴきならない精神との格闘」か。
野口あや子における、「修羅」であり、「執念」であり、果ては「拷問器具」を、わたくし式守は、拒食症を過去に持つ若い女性の反動の歌として価値を置く者であるが、野口あや子の春日井建への視線は、そのまま野口あや子本人の表現の姿勢への視線でもあるのだろう。
7
生きたい。生きたい。激しく生きたい。もっともっと激しく。
たとえ果てが孤独死であっても。
おおかたの人間は、こうは生きられない。こう生きたいとあっても、世俗が容赦なくからみつくおおかたは、人生に、自分以外があれば、自分以外があることの責任を果たす。
そもそのような生き方があることを知らずに生涯を終える人の方が多かろう。
それはそれでめでたいことなのである。
二分されてしまうこの人間たちの中で、ある種の人は、抵抗を試みる。
抵抗があれば拮抗がある。
拮抗があれば病にもなる。
自由を!
この人生に自由を。
いや、この人生を自由に!
8
ひるがえりひるがえりして螺旋なる がいとうの蛾の泡立つほどに(野口あや子)
『かなしき玩具譚』
「おしゃれキャット」より
「蛾」が外を飛んだのはなぜ。
自由を希求したからではなかったのか。
しかし、その顛末は、「泡立」っている「がいとう」でしかない。
腐りはてた自分の肉体と腐りはてた果実の外では、「がいとうの蛾」が、「泡立つほどに」あるらしい。
自由を希求した先を、野口あや子の筆は、人間的な虚飾を剥ぎ取って、やはりこのような絵画に描く。
「のっぴきならない精神との格闘」を強いられれば、これを、幾枚でも描くしかないのであろう。
9
とりあえず端から全部殺りたきを ものしずかなるおとこを殴る(野口あや子)
『かなしき玩具譚』
「スケバン刑事」より
生きたい。生きたい。
激しく生きたい。
この人生に自由を!
このような歌が「スケバン刑事」にはこれでもかと並んでいる。
われは絶対的な支配者なり!!
10
魔性ならなおさびしかり 孤独死を範囲に入れて巨峰購(あがな)う(野口あや子)
この「魔性」は、歌集『かなしき玩具譚』全体を貫いて、次の一首を目立たせる。
はじけ飛ぶ刃の細きしろがねは床板にありてわが脚を刺す(野口あや子)
「ミシン」より
このような魔性を、このような快楽を、野口あや子は、内に棲ませて、常、鈍く、しかし硬質の光を放つ。
それは甘美な官能。
つらくかなしいことが不可避の、ある種の人生は、かくして詩へと昇華した。
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