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圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)
六法出版社
『灯台の灯』
(伊吹嶺)より
こんな指導者の存在を知ると、わたしは、人間であることにうれしくなれる。
2
「うれしくなれる」とは、次の「うれしい」に通じてもいる。
目をまともに見ているだけで
八木重吉『貧しき信徒』
うれしいと思っているときがある
(太陽)より
3
要は、自分にしか関心がなかった、ということか。
それ自体は責められた話ではない。おおかたはそんなものだ。
ただ、何と言ったらいいのか、身の不満に自分の未熟を自覚できないとしたらどうか。
この世に在ることに不合理な条件など誰にでもあろうに、その条件を、呪ったり恨んだり。
所詮は、甘ったれていたのである。
4
この世に在ることの制約の中でどれだけできるか。
制約がある、となれば、できることに限りはある。それでも、まだまだできることはある。なのに、何もしないで、制約があることを、呪ったり恨んだりするだけでは、人生などますます衰弱する。
事実、この人生を、わたしは、自分の手で衰弱させていた。
5
などといういたって単純な公理を、ありていに言えば、愚かである、ということを諭してくれる人がいる。
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たとえば、吉川英治『宮本武蔵』の、武蔵に対する沢庵和尚などどうか。
あれは小説の中だけの話か。
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武蔵にはたしかに素質というものがあった。
具眼の士であれば、どんなに粗野でも、そこに、成長の見込みがつくことがある。『宮本武蔵』で、具眼の士は、沢庵和尚だった。
武蔵を、
惜しい、
と思った。
武蔵が、沢庵の、自分への仕打ちの、その意味を知るのに、すぐ、とはいかなかったが、いつしか人生を剣の道にする決意にまで至る。
武蔵はここで、真に呱々の声をあげた。
8
人生の条件はなお変わらない。
が、自分を制約しているものがあれば、武蔵はこれを、自分を伸ばすものに逆転させた。
現実の人生にこれは望めないものなのか。
9
もとより吉川英治の『宮本武蔵』は史実ではない。
では、現実の人生に、沢庵和尚などはいないのか。
いる。
事実、いた。
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圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)
六法出版社
『灯台の灯』
(伊吹嶺)より
若者たちをおもうこと、愛していること、そのおもいは、「重なる」の結句に、溢れて零れていないか。
愛してくれた人にどうして報いる気にならないでいられよう。
身の不平にわたしが矯正を得られたのは、こんな存在だった。
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呪いや恨みを内に秘めていることをむしろ矜持に、わたしは、人の高みに立っている気にでもなっていた。それは、この世界に適応するための、当時とすれば、精一杯の知恵ではあったのであるが。
つくづく若い。恥じ入る。
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わが人生の沢庵和尚に相当するお方に、若者の、この程度の知恵などとっくにお見通しだったのである。
あんた、それは死んだ部分なんだよ、と。
死んだ部分だけでこの先を生きてゆくのかい?
ほんとうに生まれてきたと言えるのかい?
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わたしの恩師は、わたしを、でもおまえは人の話はよく聞ける、と言って、その資質だけは生きている部分だと。
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武蔵ほどの人間の素質がないわたしは、その当然として、武蔵ほどの人生など歩めなかったが、わたしは、師の言う死んだ部分を減らせたことだけは確かだ。
圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)
恩師は、そのおりおりに、わたしを、このように眺めてくれていたのである。
ちゃんと生きよう、とするくらいにはなる。
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が、人生、そうそう予定調和には至らないようで。
わたしはその後、実は、恩師に、少しも報いてなどいなかったのである。
自分が武蔵ではなくても武蔵のように生きてみる決意をしたのは、五十になってからだった。
短歌もその一つである。
師は、わたしと出逢った時は、ちょうど還暦になるところだった。わたしは、今年、その歳になる。
が、わが恩師を思えば、わたしは、どれだけ幼稚なままなのか。
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されど、それは、条件のせいでも制約のせいでもない。
わたくし式守に、ただただ努力が不足していただけである。生きようとしてこなかっただけである。
が、そう判じ得て、残された人生を、今からだってたいせつにするくらいにはなれた。
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