短歌で蘇る人が/会いたや/人間の死んだ部分を減らすこと

圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)

六法出版社
『灯台の灯』
(伊吹嶺)より

こんな指導者の存在を知ると、わたしは、人間であることにうれしくなれる。

「うれしくなれる」とは、次の「うれしい」に通じてもいる。

目をまともに見ているだけで
うれしいと思っているときがある

八木重吉『貧しき信徒』
(太陽)より

要は、自分にしか関心がなかった、ということか。
それ自体は責められた話ではない。おおかたはそんなものだ。
ただ、何と言ったらいいのか、身の不満に自分の未熟を自覚できないとしたらどうか。
この世に在ることに不合理な条件など誰にでもあろうに、その条件を、呪ったり恨んだり。
所詮は、甘ったれていたのである。

この世に在ることの制約の中でどれだけできるか。
制約がある、となれば、できることに限りはある。それでも、まだまだできることはある。なのに、何もしないで、制約があることを、呪ったり恨んだりするだけでは、人生などますます衰弱する。
事実、この人生を、わたしは、自分の手で衰弱させていた。

などといういたって単純な公理を、ありていに言えば、愚かである、ということを諭してくれる人がいる。

たとえば、吉川英治『宮本武蔵』の、武蔵に対する沢庵和尚などどうか。
あれは小説の中だけの話か。

武蔵にはたしかに素質というものがあった。
具眼の士であれば、どんなに粗野でも、そこに、成長の見込みがつくことがある。『宮本武蔵』で、具眼の士は、沢庵和尚だった。
武蔵を、
惜しい、
と思った。

武蔵が、沢庵の、自分への仕打ちの、その意味を知るのに、すぐ、とはいかなかったが、いつしか人生を剣の道にする決意にまで至る。
武蔵はここで、真に呱々の声をあげた。

人生の条件はなお変わらない。
が、自分を制約しているものがあれば、武蔵はこれを、自分を伸ばすものに逆転させた。
現実の人生にこれは望めないものなのか。

もとより吉川英治の『宮本武蔵』は史実ではない。
では、現実の人生に、沢庵和尚などはいないのか。
いる。
事実、いた。

圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)

六法出版社
『灯台の灯』
(伊吹嶺)より

若者たちをおもうこと、愛していること、そのおもいは、「重なる」の結句に、溢れて零れていないか。

愛してくれた人にどうして報いる気にならないでいられよう。
身の不平にわたしが矯正を得られたのは、こんな存在だった。

呪いや恨みを内に秘めていることをむしろ矜持に、わたしは、人の高みに立っている気にでもなっていた。それは、この世界に適応するための、当時とすれば、精一杯の知恵ではあったのであるが。
つくづく若い。恥じ入る。

わが人生の沢庵和尚に相当するお方に、若者の、この程度の知恵などとっくにお見通しだったのである。
あんた、それは死んだ部分なんだよ、と。
死んだ部分だけでこの先を生きてゆくのかい?
ほんとうに生まれてきたと言えるのかい?

わたしの恩師は、わたしを、でもおまえは人の話はよく聞ける、と言って、その資質だけは生きている部分だと。

武蔵ほどの人間の素質がないわたしは、その当然として、武蔵ほどの人生など歩めなかったが、わたしは、師の言う死んだ部分を減らせたことだけは確かだ。

圧測る白衣の少女の素直さがゼミ学生の顔に重なる(安藤あきよ)

恩師は、そのおりおりに、わたしを、このように眺めてくれていたのである。
ちゃんと生きよう、とするくらいにはなる。

が、人生、そうそう予定調和には至らないようで。
わたしはその後、実は、恩師に、少しも報いてなどいなかったのである。

自分が武蔵ではなくても武蔵のように生きてみる決意をしたのは、五十になってからだった。
短歌もその一つである。

師は、わたしと出逢った時は、ちょうど還暦になるところだった。わたしは、今年、その歳になる。
が、わが恩師を思えば、わたしは、どれだけ幼稚なままなのか。

されど、それは、条件のせいでも制約のせいでもない。
わたくし式守に、ただただ努力が不足していただけである。生きようとしてこなかっただけである。
が、そう判じ得て、残された人生を、今からだってたいせつにするくらいにはなれた。